妹が「貧乳って言われると悲しい」って落ち込んでるから気を遣って「低脂肪乳」って言ったら久々に喧嘩が始まった
- Twitter / arisawa02 (via tsundere)
(出典: shingi)
A「Dがやられたようだな…」
B「ククク…奴は我ら四天王の中でも最弱…」
C「私はBよりも弱い…」
A「そして私は最強ではない…」
B「四天王の中に私よりも弱いものが最低でも二人いる…」
C「私はAよりも強い…」
※以上の条件から四天王を強い順に並べよ(5点) WeAreFloating
他者としての女性というのはそういうものだし、おそらく普通に婚姻関係のある男女でも、妻が夫に「冷凍庫に入れたほうがいいとアドバイスしたはずの食パンが冷蔵庫に入っていた」のを見たとき、そしてそれが繰り返されたとき、夫は妻の目から遠い他者に移されていく。
他者というのはそういうものであり、そうなることを愛情といったものが押しとどめることはできない。
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[書評]毒婦。木嶋佳苗100日裁判傍聴記(北原みのり): 極東ブログ (via odakin)
妻が夫に「冷凍庫に入れたほうがいいとアドバイスしたはずの食パンが冷蔵庫に入っていた」のを見たとき、そしてそれが繰り返されたとき
これすごいわかる
(via neetria)団塊世代が石油ショックを思い出さないのが不思議。
あれで
「火力発電所には頼れない! 夢の原子力発電!」
なんて空気になって、マスゴミも一斉に持ち上げてたのに。
なんで東電が政治家使ってむりくり原子力導入したような作り話がまかり通るんだろう?
- 【嘘を嘘と見抜きにくくなった】菅民主党研究第551弾【ネタが事実になるこの時代】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/asia/1303261948/520
2011-04-21
(via tkcs)(出典: mcafee-x6)
(出典: ForGIFs.com)
「ここ1週間日本のブログとか読みあさったけど、どうしちゃったのって言うくらいコメントの頭がおかしい。だいたい向こうで公開された情報につくコメントと言えば、8割くらいThank you!なのに、日本だと全部罵倒しあっているよね。人それぞれ考え方違うし、言いたいことは言い合うけど、文章で知らない人に文句ばっかり言う奴、気持ち悪いよね。日本でブログとか絶対書きたくないwこれじゃ制作者が一向に成長できなそう」
人の反応で自分の行動の正邪を判断するのをやめなさい。
- 「人の心を傷つけてはいけない」という間違った考え - はてこはだいたい家にいる (via usaginobike)
2011-04-10
(via gkojay)まず最初に言っておかなくてはいけないのは、「表現の自由は媒体を問わず尊重されなくてはならない」という大原則です。小説ならOK、漫画だとダメ、映画ならOK、ゲームだとダメということはそもそも間違いです。そこから考えましょう。
それから、『有害コミック』については興味もないし、むしろなくなってほしいとお考えの方にも、もう少し考えて頂きたいと思います。これは最近話題の、同性間の婚姻を巡るスピーチと同じロジックで考えることが可能です。「あなたにとって必要のない権利でも、切実にそれを求める人がいる」。
次の視点。一例として石原都知事は「ナボコフならいい。表現も綺麗なところがあるし」という発言をしました。ずいぶん前の筒井康隆の断筆宣言のときに浅田彰は「筒井のような二流の作家がタブーなき言語の聖域などというな」と発言。逆に小林よしのりは「筒井さんは何を書いてもいい」と擁護。
私はこの三者の発言のどれにも賛同しません。嘆かわしい思考水準だと思います。芸術的力量という曖昧な物差しをそれぞれに当てて、「この表現は自由」「これはなし」と決めることはできないのです。一流の作家ならOKという前提そのものが間違っています。
演劇の分野でもいろいろなことが起こりました。シュニツラーの『輪舞』、ヴェデキント『春のめざめ』など、二十年近くまともに上演されなかった戯曲があります。後年正当に評価された幾つかの名作の影には、知られずに消えていった作品が山のようにあるということです。もちろん作家も。
日本で起こった悲劇は、徳川幕府が女性の演じる歌舞伎を全て禁止してしまったことでしょう。国が乱れる、と幕府が感じるほどに大人気だった芸能がどんなものだったのか、我々はもう知ることができません。損害を被ったのは女性の歌舞伎役者たちだけではなく、数百年後の我々全員でもあるのです。
さて。ドストエフスキーの『悪霊』は50年ものあいだ、完全版の出版が叶いませんでした。少女を陵辱する場面があったからです。コミック規制を主張する人は、『悪霊』を十九世紀版に戻せ、ともいうべきです。やっていることは当時のロシアの役人と同じだということを、少なくとも自覚すべきです。
一流の小説家ならいいが無名の漫画家はだめだ、というロジックが通用しないのは、述べたとおり。媒体の性質や作者のレベルをもって、表現の自由に差をつけることは誰にもできないという原則を何度でも確認する必要がある。
唐沢なをき『電脳なをさん』の722号を見てみよう。ヒトラー似のへんなおじさんが「きんもーっ」の大号令のもと、都条例改正による表現規制を推進していく。ここで「きんもーっ」が出てくるのは正しい。青少年を守ろうといいながら、実は自分が気持ち悪がってるだけだろ、という批判だ。
「自分が気持ち悪いだけじゃないの?」という指摘をしたのは、私の知る限り唐沢なをきただ一人だ。そしてこれは実のところ、正鵠を得た重要な指摘なのではないだろうか。「気持ち悪い」→「一掃したい」→「(後付け)青少年にもきっと有害だよね!」というロジックで規制論が起こるのではないか?
だから、「実際の性犯罪を誘発しているか」の議論が無視されてしまう。「気持ち悪い」「青少年に悪影響を与えないはずがない」のほうが彼らにとって百万倍も大事だから。しかし、そこで立ち止まらなくてはならないのだ。本当に「有害」なのか。有害と無害の境界線を引くことはできるのか。
表現そのものに「有害性」はない、という内田樹氏の明確な指摘も参照されたい。 http://t.co/KkIrEW0W
チョムスキーのいうとおり、ヴォルテールは「自分にはヘドがでそうな思想であってもその表現の自由は徹底的に擁護する」と述べた。200年も前のことだ。不快で、広い共感を得られにくい表現こそを守っていくことが必要なのだ。青少年保護を楯に自分の清潔感を守ることをしてはいけない。
児童ポルノの単純所持禁止、についても疑問提示。例えば、全裸の少年少女たちが登場する寺山修司の短編映画をビデオで所持していたら逮捕されたりするんでしょうか? されないとしたら根拠はなんでしょう? 芸術作品とポルノ作品とは誰が区別してくれるのか。
- 表現の自由について、幾つかの指摘 - Togetter (via futashika)
うむうむ。そして、「だからこそ日本人は『表現の自由』なんてものに耐えられない」と私は思っているのだ。「『表現の自由』という重荷に耐えられない、もうこの重荷を下ろしたい」と考えている日本人が次第に増えてきており、今後もさらに増えるだろう。
(via raurublock)